Our songの哀しみ

2001年1月22日
予想どおり本日から怒涛の日々。
土日出勤したからって、たぶん、この忙しさは変わらなかっただろう。
だとしたら土日、出勤しなくて正解。雪、やっぱすごかったし。
まぁ土日家にいたけれど体調が良くなったわけではないんだが。
今日の出勤タイム。
いつものように、何の変わりもなく車を運転していて
高速の合流の所でふと、3年前の、かなり心身共に衰弱していた状態の再現なのか?と思うような
感覚におそわれてしまった。
いろんな所が痛いのと、やっぱり精神的にはいまいちのってないかんじが。
気を紛らすには熱唱が一番。ということでバインの
Our songを録音したテープで熱唱してみた。
まだ時々咳が出るものの、さすがに風邪はずいぶん
よくなってきたので、声は出るようになっている。

普段は歌詞についてあまりあれこれ考えない。
ま、考えてもその時その時で感じかたも違うし。
だが今日は。なんか違うな。
Our songの冷たさについて考えてしまった。
心が不健全だからだろうか。
「君をなくすくらいなら死んだほうがまし」って、
雑誌なんかじゃ「ストレートな愛の表現」みたいに
言われているそうなのか?
「君をなくすくらいなら死んだほうがまし?」と
聞こえてならない。私はひねくれ者なのか。
誰かに産みおとしてもらうんだが、人は一人で生まれて一人で死んでいく。
基本的に誰かと一緒じゃなくちゃ生きられないけれどでも自分の人生に責任を持ってるのは自分自身以外
誰でもない。「死んだほうがまし?」と聞くと「君」がいなくても生きていける強さを感じる。
同時に「君がいなくても生きていける強さ」を憂う、というか哀しむ、というか、そんなふうにも感じられる。

この歌の哀しいところは、「君」をなくす痛みでなく「君」をなくしても生きていける自分自身に対する痛みのように感じる。
人に向けてのラブソングじゃないような気がする。
「君」をなくしたぐらいじゃ、そう簡単に死ねないのよ、人は。だって「君」をなくした私(僕)には生活があって仕事があって、「君」以外の人間関係があって。
「君」をなくしても死ねないのよね。哀しいわ。
深読みしすぎか?
自分の現状を嘆いていると、そんなふうに思えるのか。
よくわかりませんが。
あぁ、「そういう意味」で、哀しいなぁ。


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