oasisと中川家
2002年7月8日今日はようやくoasisの新譜を聞きながら出勤。
弟・兄・弟・兄・・・の順に歌っているのが
ちょっと可笑しかった。
私にとっては前作よりも聞きやすい。
前作はきっと意欲的ではあったんだと思うけれども
なんか印象が薄いアルバムだった。
今回のは回帰というか抵抗するのを諦めたのか?
と思うぐらい
ビートルズ臭をあちこちに漂わせている。
素直にそうしときゃいいのに。
多分、だから聞きやすいんじゃないか、と思う。
通勤時間が短くなってしまったせいで全部聞き通せては
いないんだが。
ギャラガー兄弟は喧嘩ばかりしていて
しょっちゅう解散だのなんだの言ってるらしいが
そうなんだろうか。
表面的に弟が目立つ存在な方がうまくいってる兄弟の方が
多いんじゃないかと思うが。
中川家、いとし・こいし師匠、染乃助・染太郎・・・。
ありゃ、お笑いの人ばかりか。
あ、千原兄弟もいたな。それもお笑いか。
兄弟で同じ芸事を生業としている人たちってのは
どうなんでしょうね。
中川家では兄が思い描く笑いを実現するために弟が必要で
兄がネタのほとんどを考え、だけどまるで弟がリードしているかのように
舞台上では弟が兄をどつきまくる。
ものすごい速さでどつく。
「ヘラヘラ笑ってるだけだったら観客と同じだ、あっち行け」と弟が言えば
本当に観客席に兄が行こうとする。弟は「行くな」と言いながら
兄の腕がちぎれるんじゃないかと思うぐらいの勢いで引っ張り戻す。
そういう構造が、世間一般的な「お兄ちゃん、しっかりなー」みたいな
感情と一緒になって笑いが起こる。
いとし・こいし師匠のとこも、兄がボケたおして弟がツッコミ。
染乃助・染太郎のところはボケ&ツッコミという関係ではないが
弟がいわゆる「芸」をして兄は全体のリズムをとる感じの役回りだ。
日本のお笑いとUKのバンドをやってる人を
一緒にしてはいけないんでしょうけれど
ギャラガーさんちの兄弟たちも
ノエルはリアムが歌ってこそ完成する音楽だと思って
曲をつくり、バンドを続けているんだろうか。
自ら歌ってるのもあるけどね。
Don’t look back in angerなんかリアムが歌ってもいいと思うんだけどね。
ってゆーかリアムの愛すべきダミ声で聞いてみたいもんだ。
なんかあの曲を自分で歌っちゃうところがギャラガー兄弟なのか。
なんじゃそりゃ。
お兄ちゃんもっとボケたらいいんじゃないかと思うけど。
ヨーロッパ人、プライドが許さないのかな。
ってゆーか音楽の世界で「ボケる」ってどういうことよ?
oasisの新譜を聞きながら
そんなことしか考えられない自分が哀しくなってしまった。
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