本日はエゴラッピンの新譜を。
相変わらずヨシエちゃんの唄が素晴らしい。
私の中で「歌姫」と呼べるのはヨシエちゃんだけだ。
「声」と「息」のブレンド具合が絶妙で
半音のとり方が天才的。
前にも書いたが平成の美空ひばりだ、ヨシエちゃん。
去年福岡ですれちがった(というか多分同じホテルに泊まっていた)時に
やっぱりサインもらっておけばよかった。大後悔。

曲全体は「場末のキャバレー」だの「昭和歌謡」だの言われているが
インディ盤の「色彩のブルース」のミニアルバムの方が
かなりそういう色が濃かった。
今回のアルバムは「雰囲気場末のキャバレー」なんだけど
どうにも音全体が洗練され過ぎている。
インディ時代の色彩のブルースの方の演奏は
かなり「ヘタうま」というか、プロが中学校の吹奏楽部の備品の楽器で
演奏したみたいな、「チープ感」が満載で、
その「チープ感」が「場末のキャバレー」な感じを醸し出していたような
気がする。
チープ、というのは演奏や唄が貧相というのでなく、あくまでもチープ「感」。
そもそも今の若者が「場末のキャバレー」を想像できるのか。
いや、私だって「ここが場末のキャバレーです」といわれる場所に
足を踏み入れたことはないんだが。
多分、場末のキャバレーというのは今は地方都市の片隅の方にあるか
大都会の場末のキャバレーは昭和50年代半ばに絶滅しているような
気がする。

私が小学生の頃、学校の近くに日活ロマンポルノの映画館があり
通学路には2週間に1回は貼り替えられるポスターの掲示板があった。
換気扇がドロドロな中華料理店の脇にポスターは貼ってあり
そういうベタベタな空気と
なまめかしいお姉さんの肌(ポスターのね)が
なんとも言えない空気感を作り出していたものだ。
その頃キャバレー界の中で有名どころは「ロンドン」と「ホンコン」。
特にキャバレー「ロンドン」はチープなゴージャス感たっぷりな
「ロンドンロンドンロンドン。楽しいロンドン愉快なロンドン、ロンドーン、ロンドン」
というコマーシャルまでやっていた。
その頃は隆盛をほこっていてちっとも場末じゃなかったんだろうけど
昭和50年代半ばあたりには、かなり寂しい状況に
なっていたように思う。
おそらくその頃からアダルトビデオが流行り始め、
小学生が白昼堂々なまめかしいお姉さんの裸体のポスターを
眺めるなんて健康的(なのか?)な時代じゃなくなり
色っぽいものは、どんどん細分化されて
ノーパンなんじゃらだのキャバクラだの、
洗練された(なのか?)ものになり
健康的でしかも猥雑な感じはなくなってしまった。

キャバレーロンドンのような
チープなゴージャス感満点の猥雑さが
ヨシエちゃんの色っぽい声をひきたたすような気がするんだが
メジャーなレコード会社でつくる音源というのは
やっぱり洗練されてしまうのだろうか。
メジャーになるってそういうことなのかな?
音は確かにいいんだけどね。

そういやエゴラッピンのワンマンを見に行って
もう1年も経つんだなー。
ライブの方がもっと猥雑な感じがして
いいんだと思う。
エゴラッピンのライブ、行きてーーー。
FUJI ROCKに出るんだよねー。
ってゆーかワンマン行きたい、やっぱり。
チケット取るの
どんどん大変になってる気がするが。

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