息苦しさ。

2002年9月23日
今日は真面目な話しをします。
もう歳がバレてもどーでもいいや。
既にバレバレな感じもするが。
そしてひかれてしまっても、いいや。
イイ歳してバッカじゃないの、と思われても、いいや。
ちゃんと心にとどめておきたい事だし
ちゃんと向かい合っておかなくては、と思うことなので。
恥ずかしくなって後で削除するかもしれん。


今日、人と話をしていてひょんなことから25年前の米軍機墜落事件の話しになった。
当時私は同じ市内の小学生で、墜落した現場は
遠足なんかで行くような馴染みのある場所であまりの悲惨な出来事と被害にあった家族の名前が同姓だったこともあって強い衝撃を受けた。

その頃の自分は大切な友だちを失ったばかりで、
精神的にかなり参っていた。
円形脱毛症になったりしていた。
でも「銀座ナウ」に出ているCharに夢中でピアノのレッスンに行くのが大嫌いで屋根の上にのぼって縦笛吹いてるようなアホな子どもであった。

でも、次々に明らかになる凄惨な出来事の細部であるとか墜落させたパイロットがパラシュートで脱出して無事に本国に帰ったことであるとかを知って
子どもながらに「こんな酷いことがあっていいものか」と怒りに震えてもいた。

今仕事をしている場所が、その現場からそんなに遠くないことを、今日、会話していて改めて思い出した。
今、その辺りは何事も無かったかのように宅地造成されて、閑静な住宅街になっている。外国か?と思うような町並み。
私が感じている、町並みに対する漠然とした違和感の理由が、そこにもあるような気がした。

幼い友だちを亡くしたり
近所で米軍機が墜落して人が死んだり、
円形脱毛症になるぐらい参っていたりしながら
「どうしてこんなに苦しいのだろう」と感じていた。あの、息苦しさを今でも思い出す。
幼い友だちを亡くしたのも
米軍機が墜落して人が死んだのも、今のこのぐらいの時期だった。

多分、そういう「どうしてこんなに苦しいんだろう」と思った気持ちが、「間接的にでも人を殺したり人を傷つけたりする仕事でお金を稼ぎたくない」という気持ちにつながって、今の職業を選んだんだろうと、思っている。

人との会話の中で、
若いお母さんたちが人間関係作るのが大変らしい、という話しになり、会話の相手は、私ぐらいの年代の人は、皆、そうなのかしら?と聞いた。

今は自分の家に寝に帰っているだけだしガキなどいらんと思っているし、それ以前にガキ産むような状況に積極的にならないことは確かなんだが
もし万が一、自分が地域でちゃんと暮らすようになり、そういった近所付き合い・人間関係を営まなくてはいけなくなった時、本当に大丈夫なんだろうか?と不安にかられる時がある。

子どもの頃、社会の矛盾を感じつつもCharに夢中で屋根の上で縦笛吹いてたようなアホな子どもだった私は、多分、その感性のまま、イイ歳になってしまった。
職業のおかげである一定の関心に基づいて、社会の矛盾についての話しも
中川家やスタンディングのライブに行った話しも
両方できる環境があるにはあるけれども、
一回そこから離れてしまって、地元で暮らすようになったら、どうだろう?と思った。
中川家の話しだけでも米軍機が民家に墜落して安保条約がどうした、という話しだけでも
どちらか一方では私はとても生きていけない。
両方の話しが充分にできてこその「自分」だから。
そりゃ大人だし。話しが合わない人とでも必要なことは話して暮らしてるけど。
そして、そんなに何から何まで話しが合う人がそばにたくさん居るとは思っちゃいないけど。
私はどこまでそういう両方な私を抱えて、つつみ隠さず人間関係を作っていけるのだろうか。
漠然と不安で不安でならなくなった。
子どもの頃の息苦しさと同じ息苦しさを今も感じている。
うまくやっていけてないってことなのか。

米軍機が民家に墜落しないような世の中を作っていけるはずだ、と信じてもいるし、
そんなことは幻想に過ぎない、とも思っている。
そんなこと自体、ライブの最中は考えてもいない。
あと5年はスタンディングライブの2列目以内、とか言いつつ
それ以外のところで、どうやって生きていこうか、こんなにイイ歳になっても
全然分からない。

いろんなことを思い出して泣いた。
幼い友だちを亡くした時の、
その同じ歳で人質になって殺された罪の無い子どもの死をニュースで見て泣いた。
世界では
同じぐらいの歳の子が同じように
「国」や「宗教」の名のもとに殺されている。

それでも私はライブに行く。

息苦しいな。



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