それは必然で、かつ奇跡で、永遠でないということ。
2002年12月4日仕事の最中にも号泣してしまうほどではないけれども、ふとした隙に涙がこぼれてしまう状況には変わりなかった。
自分がこのことでそんなに泣くなんて信じられない。
悲しいとか、辛いとか、痛いとか、切ないとか。
そういう言葉では表現しきれない感情。
彼のことや、彼のことが大好きだったファンのことを考えるだけで涙が溢れて止まらなくなる。
多分、仕事の仲間や上司に話しても「何を馬鹿な」で済まされてしまうんだろうな。言わないけど。自分の中のGRAPEVINEというバンドと、そのことが縁で知り合った人たちの存在の大きさを改めて思い知る。
ちょうど仕事や恋愛問題で辛い時に彼等に出会って、自分の音楽というものに対する感受性を呼びさまし、広げてくれたバンドなんだ。
別の入り口から入ったオセロケッツと結びつけてくれたのも。
その感受性の広がりは、仕事や恋愛関係という他者との関係性における自分、ということだけではなく、自分自身の生活や感情を豊かにし、あぁ、私のココロは自由なんだ、と思うようになった。
そういう大切なバンドで、大切な音楽。
彼等から受け取った様々な素晴らしい感情や瞬間がたくさんあるのに、私は何もできないんだよなーと思ったけれども、その感情や瞬間をライブで一緒に作ったのもファンなんだよな、とも思う。
この前のモリくんの心斎橋タワレコインストアで、「インストアイベント」以上の、ちゃんとした「ライブ感」を感じた。真剣にやってるんだもの。プロだから当たり前か。でも。すごく嬉しかったんだ。初聞きの曲で涙できる、そんな素晴らしい曲をライブを、聞かせてくれるんだ。お話することであるとか、そういうことはもちろん非常に嬉しいけれども、やっぱりその瞬間にしか聞けない音、空間。それが本当に大切で、大好きなんだ。
昨今の音楽情勢(って一体何なのかよく分からないけれども)は、「大量生産」「大量消費」。そりゃレコード会社だって自由競争の中で生きているんだから流行にはずれないうちに「売れる」ものをバンバン出したいだろう。そういう「オトナの事情」は一社会人として理解はできる。だけれども「大量生産」「大量消費」された音楽の行く末は往々にして「大量廃棄」だ。私は廃棄するために音楽聞いてるんじゃない。ちゃんと蓄積したいしリユースしたいんだ。
そういう事情の中で、志半ばで音楽をやめざるを得ない人が居る。無念だ。
私の大好きなバンドの皆さんがメンバーと出会ったのは偶然だったんだろう。でも、それは神様かなんかが仕組んだ必然で、それが奇跡を生んだんだと思う。
奇跡は作り手と聞き手によってどんどん起こされる。西原誠さんの居たバインのライブ。たくさんたくさんたくさん五感を駆使して感じてもっともっともっともっとしみこませておきたかった、という後悔は無いわけではないけれども、多分、たくさんたくさんたくさん染み込んでいるようにも思う。
大阪から浮かれて帰ってきて、こういう事が起きてぐじゃぐじゃで、でも、もう一つの、私のココロを自由にする大好きなバンドのライブがあって、楽しめるんだろうか?と悩んだ。でも。そのバンドだって「長いことない」とか言われつつも音楽活動ができている。それでそのバンドのライブをずいぶん前から楽しみにしていて、行ける状況もある。大好きなバンドと共有するライブ、という空間をたくさんたくさんたくさん染み込ませるために、ぐじゃぐじゃな気持ちのままで行ってやろうじゃないか、と思ったんだ。
ぐじゃぐじゃな気持ちのままで行ったライブを
一生忘れないようにしよう、と思ったんだ。
そして顔も見たくないような大嫌いな人とか、仕事だからと仕方なく存在する人間関係であるとか、そういうものが入ってこれないようなココロの深いところに大切にしまって、自分のココロは自由だ、と感じ続けたかったんだ。
だから。
今日はオセロケッツのライブに行った。
オセロケッツという必然かつ奇跡な存在の、ライブは、もう本当に愛おしく、楽しくて、感謝したい気持ちでいっぱいで、
でもそれは決して永遠ではない、ということが悲しくて、
泣きながら、でも嬉しくて笑いながら
ライブを見ていた。
馬鹿だなー。それでも、たくさんたくさんたくさん感じようと息を吸った。
嬉しくて悲しくて笑いながら泣きながら息を吸った。
オセロケッツのライブでこんなに泣いたのも初めてだ。ワンマンでもないのに。
終了後、なんだかぼけっとしているところにモリヤマ氏登場し「あ」と目が合う。「お疲れっしたー」と声をかけてくれた。
感情がぐじゃぐじゃで、確かにワタクシ、疲れておりました。そういうことを含めて発せられたコトバじゃないと充分承知しているけれども、ありがとう、モリくん。
というか。本当にありがとうオセロケッツ。と今日のライブ。
ぐじゃぐじゃな気持ちで帰宅。
帰宅してまた泣く。
ぐじゃぐじゃな気持ちのまましばらくは生活していくんだ。あの時は何であんなにぐじゃぐじゃだったんだろう、と思い返して笑って死ねるといい。
神様。お願いだから、一生忘れさせないでください。
自分がこのことでそんなに泣くなんて信じられない。
悲しいとか、辛いとか、痛いとか、切ないとか。
そういう言葉では表現しきれない感情。
彼のことや、彼のことが大好きだったファンのことを考えるだけで涙が溢れて止まらなくなる。
多分、仕事の仲間や上司に話しても「何を馬鹿な」で済まされてしまうんだろうな。言わないけど。自分の中のGRAPEVINEというバンドと、そのことが縁で知り合った人たちの存在の大きさを改めて思い知る。
ちょうど仕事や恋愛問題で辛い時に彼等に出会って、自分の音楽というものに対する感受性を呼びさまし、広げてくれたバンドなんだ。
別の入り口から入ったオセロケッツと結びつけてくれたのも。
その感受性の広がりは、仕事や恋愛関係という他者との関係性における自分、ということだけではなく、自分自身の生活や感情を豊かにし、あぁ、私のココロは自由なんだ、と思うようになった。
そういう大切なバンドで、大切な音楽。
彼等から受け取った様々な素晴らしい感情や瞬間がたくさんあるのに、私は何もできないんだよなーと思ったけれども、その感情や瞬間をライブで一緒に作ったのもファンなんだよな、とも思う。
この前のモリくんの心斎橋タワレコインストアで、「インストアイベント」以上の、ちゃんとした「ライブ感」を感じた。真剣にやってるんだもの。プロだから当たり前か。でも。すごく嬉しかったんだ。初聞きの曲で涙できる、そんな素晴らしい曲をライブを、聞かせてくれるんだ。お話することであるとか、そういうことはもちろん非常に嬉しいけれども、やっぱりその瞬間にしか聞けない音、空間。それが本当に大切で、大好きなんだ。
昨今の音楽情勢(って一体何なのかよく分からないけれども)は、「大量生産」「大量消費」。そりゃレコード会社だって自由競争の中で生きているんだから流行にはずれないうちに「売れる」ものをバンバン出したいだろう。そういう「オトナの事情」は一社会人として理解はできる。だけれども「大量生産」「大量消費」された音楽の行く末は往々にして「大量廃棄」だ。私は廃棄するために音楽聞いてるんじゃない。ちゃんと蓄積したいしリユースしたいんだ。
そういう事情の中で、志半ばで音楽をやめざるを得ない人が居る。無念だ。
私の大好きなバンドの皆さんがメンバーと出会ったのは偶然だったんだろう。でも、それは神様かなんかが仕組んだ必然で、それが奇跡を生んだんだと思う。
奇跡は作り手と聞き手によってどんどん起こされる。西原誠さんの居たバインのライブ。たくさんたくさんたくさん五感を駆使して感じてもっともっともっともっとしみこませておきたかった、という後悔は無いわけではないけれども、多分、たくさんたくさんたくさん染み込んでいるようにも思う。
大阪から浮かれて帰ってきて、こういう事が起きてぐじゃぐじゃで、でも、もう一つの、私のココロを自由にする大好きなバンドのライブがあって、楽しめるんだろうか?と悩んだ。でも。そのバンドだって「長いことない」とか言われつつも音楽活動ができている。それでそのバンドのライブをずいぶん前から楽しみにしていて、行ける状況もある。大好きなバンドと共有するライブ、という空間をたくさんたくさんたくさん染み込ませるために、ぐじゃぐじゃな気持ちのままで行ってやろうじゃないか、と思ったんだ。
ぐじゃぐじゃな気持ちのままで行ったライブを
一生忘れないようにしよう、と思ったんだ。
そして顔も見たくないような大嫌いな人とか、仕事だからと仕方なく存在する人間関係であるとか、そういうものが入ってこれないようなココロの深いところに大切にしまって、自分のココロは自由だ、と感じ続けたかったんだ。
だから。
今日はオセロケッツのライブに行った。
オセロケッツという必然かつ奇跡な存在の、ライブは、もう本当に愛おしく、楽しくて、感謝したい気持ちでいっぱいで、
でもそれは決して永遠ではない、ということが悲しくて、
泣きながら、でも嬉しくて笑いながら
ライブを見ていた。
馬鹿だなー。それでも、たくさんたくさんたくさん感じようと息を吸った。
嬉しくて悲しくて笑いながら泣きながら息を吸った。
オセロケッツのライブでこんなに泣いたのも初めてだ。ワンマンでもないのに。
終了後、なんだかぼけっとしているところにモリヤマ氏登場し「あ」と目が合う。「お疲れっしたー」と声をかけてくれた。
感情がぐじゃぐじゃで、確かにワタクシ、疲れておりました。そういうことを含めて発せられたコトバじゃないと充分承知しているけれども、ありがとう、モリくん。
というか。本当にありがとうオセロケッツ。と今日のライブ。
ぐじゃぐじゃな気持ちで帰宅。
帰宅してまた泣く。
ぐじゃぐじゃな気持ちのまましばらくは生活していくんだ。あの時は何であんなにぐじゃぐじゃだったんだろう、と思い返して笑って死ねるといい。
神様。お願いだから、一生忘れさせないでください。
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