告白。
2002年12月9日当然昨日はいろいろと感慨深くて早くになんか寝れなくて、
朝もそれなりにヤバ目の時間に起きたわけです。
雪だよってメールが入っていたり
雪だとちょっとした対策が必要だっていう電話が入ったりして
はいはいはいはいそーですかそーですね
と
あたふたと着替えて家を出る。
愛車のまわりに降り積もった雪をがばっと降ろし
そろそろと走り出したけど、ちょっとこれはキツイかな、と思って
途中の駅の近くの駐車場に車を置いて電車で通勤。
坂の頂上にある職場まで普段の1.5倍の時間がかかって到着。
その後雪対策であたふたとして午前中があっという間に終了。
その時、ふと。違和感が。
告白その1。
今日ノーブラでした(笑)。
笑ってる場合か。情けないねぇ。
こんなこと初めてだ。学生時代〜社会人になって。
それでも雪と仕事の合間を縫って
11月中旬からのドンマイ活動の記録を収めたカメラを現像に出しに行く。
どんなアホ面で写っているかと思うと凹む。
それを写真屋さんのおねーちゃんに見られるかと思うと超凹む。
だがこれを現像に出さなければモリくんのピン写真も手に入らない。
‥というわけで受け取りに行き早速見てみる。
‥と。
告白その2。
馬鹿写真オンパレード(笑)。
笑ってる場合か。まぁ、それはもうどの写真もアホ面でした。
写真って怖いよなー。その時の自分の感情が
あんなに素直に出ているものだとは。
満面の笑みですから。自分。怖いです。はぁ。
それにひきかえモリくんはどの写真もキュートであった(馬鹿)。
眺めていると仕事にならん(病気)。
さて。
昨日あるお友だちからメールをいただいて、
その返事を書いていて
この間の自分のぐじゃぐじゃがなんだったのか、というものが
なんだか少し整理されたように思う。
それは一言で表すなら「大切なものを突然剥ぎ取られる苦しみ」。
今回の西原誠さん脱退の衝撃は、
そのこと自体もかなり衝撃ではあったのだけれども
一つは、自分の思い出として大切なものの中の一人が今後本当に「思い出」になってしまう「失う」感覚で、これが第一にはあった。
だけれども、もっと強い苦しみは、
彼のことが大好きだった一人の女の子のこと。
彼女の目の前からサヨナラも言わずに
そして直前まで何ということはなく、
優しく、普通に接していてくれたのに
突然居なくなってしまう、ということが
どんなに彼女の胸を苦しめたか、ということが
何度も涙してしまう大きな理由なんだ、ということ。
もっとつきつめて考えるとおそらく、
本当に人のことでそんなに泣けるのか、というと
多分、それは自分自身の「大切なものが剥ぎ取られてしまう」経験と重ね合わせてしまったために
号泣となってしまったんじゃないかな、と思った。
オセロケッツの「もしかして君だけが苦しいって思ってないかい?」(改めて書くと本当に長いタイトルだな)という唄の中に
「取り乱したのは誰のせい?君のため?自分のためかも?」という歌詞が出てくる。
うーむ。結局は自分のためなのか。
でも。でもね。
その唄の続きは「この歌を大切な人に」という歌詞なのだ。
他人の心など全てを分かる由も無いのだけれど
だからといってじゃぁ自分のことだって
全て分かっているわけでもなくて、
だけど、大切な人のことを思って涙する、ということがここ暫くなかっただけに
自分にとって今回の件は本当にびっくりした。
びっくりしたし
なんだかサッパリともした。
サッパリ、というのはこの件に関することでなくて
「やっぱり大好きなバンドが大好きだ」とか
「やっぱり音楽って素晴らしい」とか
そういう認識の「サッパリ」感なんだけど。
昨日メールをくれたお友だちは
そんなことが目的じゃなかったんだと思うんだけど
私は返信する文を書きながら
こうして何かが少し整理できた。
告白その3。
いつか私の日記を読んでくれるであろうアナタ。
本当に抱きしめてあげたいわ。
何度も言ったけど。
それが何の励ましにも癒しにもならない、と
分かっていても。
でもきっと自分の足で立ってるから大丈夫だと思う。
彼女は私が考える以上に大人だ。私よりずっと歳が下なのに。
そして昨日メールをくれた◎っ◎ちゃん。
本当にありがとう。
お役に立てない返信であったけれども
アナタにもらったメールに返信することで
今回の件の確信が分かりました。
それで別に何が解決するわけでもないし
例えば苦しさに耐える彼女のことを励ませるような自分にだってなれはしないのだけれども。
構造解明が好きな私としては
今回の号泣劇(なんだそれ)が自分にとってびっくりだっただけに
その構造が解明できてちょっとよかったです。
こういう縁を作ってくれた
GRAPEVINEの皆さん、ありがとう。
「もし君?」で鋭いことを言ってくれている
オセロケッツさん、ありがとう。
今後もアホ面さげてライブに行かせていただきます。
それはちょっといやか。
朝もそれなりにヤバ目の時間に起きたわけです。
雪だよってメールが入っていたり
雪だとちょっとした対策が必要だっていう電話が入ったりして
はいはいはいはいそーですかそーですね
と
あたふたと着替えて家を出る。
愛車のまわりに降り積もった雪をがばっと降ろし
そろそろと走り出したけど、ちょっとこれはキツイかな、と思って
途中の駅の近くの駐車場に車を置いて電車で通勤。
坂の頂上にある職場まで普段の1.5倍の時間がかかって到着。
その後雪対策であたふたとして午前中があっという間に終了。
その時、ふと。違和感が。
告白その1。
今日ノーブラでした(笑)。
笑ってる場合か。情けないねぇ。
こんなこと初めてだ。学生時代〜社会人になって。
それでも雪と仕事の合間を縫って
11月中旬からのドンマイ活動の記録を収めたカメラを現像に出しに行く。
どんなアホ面で写っているかと思うと凹む。
それを写真屋さんのおねーちゃんに見られるかと思うと超凹む。
だがこれを現像に出さなければモリくんのピン写真も手に入らない。
‥というわけで受け取りに行き早速見てみる。
‥と。
告白その2。
馬鹿写真オンパレード(笑)。
笑ってる場合か。まぁ、それはもうどの写真もアホ面でした。
写真って怖いよなー。その時の自分の感情が
あんなに素直に出ているものだとは。
満面の笑みですから。自分。怖いです。はぁ。
それにひきかえモリくんはどの写真もキュートであった(馬鹿)。
眺めていると仕事にならん(病気)。
さて。
昨日あるお友だちからメールをいただいて、
その返事を書いていて
この間の自分のぐじゃぐじゃがなんだったのか、というものが
なんだか少し整理されたように思う。
それは一言で表すなら「大切なものを突然剥ぎ取られる苦しみ」。
今回の西原誠さん脱退の衝撃は、
そのこと自体もかなり衝撃ではあったのだけれども
一つは、自分の思い出として大切なものの中の一人が今後本当に「思い出」になってしまう「失う」感覚で、これが第一にはあった。
だけれども、もっと強い苦しみは、
彼のことが大好きだった一人の女の子のこと。
彼女の目の前からサヨナラも言わずに
そして直前まで何ということはなく、
優しく、普通に接していてくれたのに
突然居なくなってしまう、ということが
どんなに彼女の胸を苦しめたか、ということが
何度も涙してしまう大きな理由なんだ、ということ。
もっとつきつめて考えるとおそらく、
本当に人のことでそんなに泣けるのか、というと
多分、それは自分自身の「大切なものが剥ぎ取られてしまう」経験と重ね合わせてしまったために
号泣となってしまったんじゃないかな、と思った。
オセロケッツの「もしかして君だけが苦しいって思ってないかい?」(改めて書くと本当に長いタイトルだな)という唄の中に
「取り乱したのは誰のせい?君のため?自分のためかも?」という歌詞が出てくる。
うーむ。結局は自分のためなのか。
でも。でもね。
その唄の続きは「この歌を大切な人に」という歌詞なのだ。
他人の心など全てを分かる由も無いのだけれど
だからといってじゃぁ自分のことだって
全て分かっているわけでもなくて、
だけど、大切な人のことを思って涙する、ということがここ暫くなかっただけに
自分にとって今回の件は本当にびっくりした。
びっくりしたし
なんだかサッパリともした。
サッパリ、というのはこの件に関することでなくて
「やっぱり大好きなバンドが大好きだ」とか
「やっぱり音楽って素晴らしい」とか
そういう認識の「サッパリ」感なんだけど。
昨日メールをくれたお友だちは
そんなことが目的じゃなかったんだと思うんだけど
私は返信する文を書きながら
こうして何かが少し整理できた。
告白その3。
いつか私の日記を読んでくれるであろうアナタ。
本当に抱きしめてあげたいわ。
何度も言ったけど。
それが何の励ましにも癒しにもならない、と
分かっていても。
でもきっと自分の足で立ってるから大丈夫だと思う。
彼女は私が考える以上に大人だ。私よりずっと歳が下なのに。
そして昨日メールをくれた◎っ◎ちゃん。
本当にありがとう。
お役に立てない返信であったけれども
アナタにもらったメールに返信することで
今回の件の確信が分かりました。
それで別に何が解決するわけでもないし
例えば苦しさに耐える彼女のことを励ませるような自分にだってなれはしないのだけれども。
構造解明が好きな私としては
今回の号泣劇(なんだそれ)が自分にとってびっくりだっただけに
その構造が解明できてちょっとよかったです。
こういう縁を作ってくれた
GRAPEVINEの皆さん、ありがとう。
「もし君?」で鋭いことを言ってくれている
オセロケッツさん、ありがとう。
今後もアホ面さげてライブに行かせていただきます。
それはちょっといやか。
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